仏教の教え

【100日後に死ぬワニ】仏教的に考える生き方と死について

「100日後に死ぬワニ」がSNS上で大きくバズり、一種の社会現象を起こしています。

この漫画は、ワニくんの人生と死を期限つきで客観的に見るものですが、実は死生観が多く含まれた作品であり、子供や大人も考えさせられるものがありました。

たあいのないワニくんの日常生活ですが死というものは確実に近づいていきます。

ワニくんは死にますがあなたはどうですか?

ワニくんの死は自分も同じ。

今回の記事では、100日後に死ぬワニを通して人の生き方や死についてのお話をさせていただきます。

この記事でわかること

・100日後に死ぬワニで考える死生観
・死は誰にでも訪れる
・死を考えることは悪いことではない
・その時その時を生きる

 

【100日後に死ぬワニ】とは

100日後に死ぬワニは、漫画家でありイラストレーターでもある「きくちゆうき」さんの4コマ漫画。

100日後に死んでしまうワニくんが、100日後に死ぬとは知らず何気ない日常を送っていくストーリーで、作者と読者だけがワニくんの死ぬ日を知っているという作品です。

【100日後に死ぬワニ】で考える死生観

100日後に死ぬワニの特徴は、ワニくんの死ぬことがわかっていることです。

読者は死ぬことがわかっていても、本人は知らない。知らないから変わらない日常を送る。

私たちも今は生きていますが、いつかは死にます。

もちろん死ぬ日は知りません。

しかしもし、死ぬ日を知っていたらどうでしょう。

死ぬことを知っていたら生活も変わりませんか?

死は誰にでも起こる

以下の4コマ(3日目)では、赤信号の歩道を歩くヒヨコに対して、ワニ君が「気をつけないと死んじゃうよ!!」と言います。

「いやお前がな!」と突っ込みたくなりますが、よく考えるとみんな死ぬんです。

実はみんながワニくんです。

「いやお前がな!」と突っ込んでしまうのは、ワニ君の死を知っているからこそのツッコミであり、自分たちのことは気にも止めません。

私たちは死を自覚していないために、人のことは気にするけど自分は大丈夫であると、どこか楽観的な態度をとってしまっているのです。

死を意識することで生き方は変わる

人は死を恐れて、触れてはいけないタブーとして扱うことが多いです。

自分はもちろん、自分の周りにいる人が「死ぬ」というのはとても辛いことですが、死を考えることは悪いことではありません。

死というものを悲観的に捉えるのではなく、死は人生の期限であり、一つの現象として捉えれば人生をより良くすることもできます。

死を考えることで変わること

・1日1日を大切にすることができる。
・気持ちに余裕ができる
・くよくよと悩まなくなる
・生活を改めるきっかけとなる

その瞬間を生きる

仏教の開祖であるブッダ(お釈迦様)は「その瞬間を生きろ」と言っています。

その瞬間とは1日1日のことであり、一時一時の1瞬、まさに今を表しています。

この言葉は特に消えては現れる煩悩に関わることですが、その時を生きるということは「人生に後悔しない」ことためにも大切なこと。

1日1日をしっかりと生きることができれば、「私はいつ死んでも大丈夫」と思うこともできるので、人生に後悔を残すこともないのです。

瞑想ので見るのも『今』

近年ではマインドフルなどの言葉もかなり浸透していますが、瞑想で見るところもその一時一時の瞬間です。

瞑想や座禅は心を落ち着かせるための効果はもちろんですが、その瞬間を学ぶためにも最適な方法。

自分の今に気づくために一度挑戦してみるのも一つです。

まとめ

100日後に死ぬワニは、私たちの人生を考える上でとても大切なことを教えてくれていました。

人は必ず死ぬ。

問題は死ぬことではなく、死ぬまでに何ができ、自分は満足できるかということです。

人生を漠然と生きるのか、自分の意思を持って生きるのかは個人によって変わります。

ワニくんの死を見つめながらも、決して楽観視せず「自分も同じだ」と考えて、生きることと死ぬことについて少し考えてみると更によい人生が送れるでしょう。

ABOUT ME
おてさら君
お寺生まれの長男坊。『仏教は哲学』をモットーに仏教の面白さを世の中に伝えるべく日々自己鍛錬中。ミャンマーやスリランカといったアジア国で上座部仏教の修行経験、日本では納棺師の経験を経ています。自分の煩悩の強さを感じながら『職業は僧侶』ではなく、『生き方が僧侶』を目指し、宗派に属さずお寺と俗世間の間で偏りのない仏教に関する情報を提供中。
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。