仏教

【追善供養】日常的に亡くなった人の冥福を祈る方法は3つある

「亡くなった人に何かできることはないか・・・。」

そんなことを考えたことありませんか?

仏教には自分がした良い行いを通して、亡くなった人の冥福を祈る『追善供養』という言葉があるのです。

一般的に追善供養は、法事などで行われるものだと思われていますが、実は日常的に行う事もできるのです

今回の記事ではそんな追善供養を日常的に行える、3つの方法について紹介します。

この記事でわかる事
・追善供養とはなにか
・日常的にできる追善供養とはどのようなものか
といったことを知る事ができるので、追善供養を知らなかった方や、「追善供養はしたいけど法要や法事はできない。」といった方にも耳よりな情報となっていますので、是非一読してこれからの供養の参考にしてください。

追善供養(ついぜんくよう)の意味とは

追善供養(ついぜんくよう)は、生きてる人が亡くなった人(故人)に行う供養の一種です。

供養(くよう)とは、亡くなった人の冥福(めいふく)を祈ることを指した言葉ですが、追善供養は、「生きている人が行った良い行い(善行)の結果が亡くなった人にも返ってくる。」といった意味を持ちます。

追善供養は、自分の良い行いを通して供養するものなので、自分の心を洗うためにも良いことです。

亡くなった人に行う行事(年忌法要や忌日法要など)はもちろん追善供養になりますが、お墓参りや、仏壇に手を合わせるなども立派な追善供養となりますよ。

日常的に行えることもあるので、生活に取り入れていくことをオススメします。

写経(しゃきょう)

写経はお経の一文字一文字を写し書くものです。

写経は一般的に、「心を落ち着かせる。」「写経を通して願掛けをする。」などの効果が期待されますが、写経をした紙に故人の名前(戒名)を書いて、故人の冥福を祈るといった使い方もできます。

故人を思って文字を写せば、自分の心も自然と安らいでいきます。

お寺によってはお焚き上げもしているので、写経を終えたら故人の供養をかねて、お寺でお焚き上げをお願いすると良いでしょう。

お仏壇にお供え

お仏壇にお茶やご飯などをお供えすることも追善供養の一つです。

追善供養は本来、「毎日行う供養」といった意味合いを持っており、お仏壇へのお供えは、まさに毎日行える追善供養の代表と言えます。

お供えすることは簡単なことのように思えますが、自分の物を分け与える『布施行(ふせぎょう)』の意味も持っていますので、とても良い行いとなります。

身近な行動ではありますが、故人をうやまう意味を持った大切な行動ですので、日頃から忘れずに行いたいものですね。

お仏壇で手を合わせるのも追善供養

お仏壇で手を合わせたり、お経を唱えることも追善供養です。

もちろんただ手を合わせたり、お経をあげるだけでは意味がありません。
色々な雑念を入れることなく、故人の事を思いながら手を合わせる事ではじめて追善供養となります。

お墓参り

お墓参りをすることも追善供養です。
お坊さんにお経を唱えてもらうことはもちろんですが、お墓での追善供養は自分たちでできることも多くあります。

しかし、お仏壇と同じで、ただやるだけでは意味がありません。
故人や先祖の冥福を祈ることではじめて追善供養となるので、気持ちを込めてすることが大切です。

お墓参りで故人にできること
・お墓の掃除(草むしり・墓磨きなど)
・お供物をする
・花を生ける
・お線香をあげる
・手を合わせる
・お経をあげる
お墓は故人だけでなく、先祖も眠っている場所です。
先祖の冥福を祈ると言う意味でも、お墓参りの際はできるだけのことをしたいですね。

卒塔婆

また、お墓に卒塔婆を立てることも追善供養の一つ。

卒塔婆を立てることは故人にお経を捧げると同時に、立てた人の善行を積む意味を持っています。

卒塔婆は一般的に故人の納骨時や、お彼岸やお盆に立てられますが、お寺のお坊さんに頼むことで用意してもらう事ができますので、卒塔婆がお墓に立っていない場合はお坊さんに頼んでみましょう。

供養の気持ちを卒塔婆という形にすることで、自分自身がいかに故人を大切に思っていたかを知ることもできますよ。

まとめ

追善供養には、自分でできることもあります。

今回紹介した追善供養は、一見当たり前の行動かもしれませんが、故人を思って行う行為は大切なことです。

追善供養をすることは、自分が日頃から良い行いをしている事が大前提となりますので、自分と故人のためにも良い行いを心がける事が大事。

自分が徳を積むためにも日頃から良い行いをしていきましょう。

良い行いをして故人を喜ばせることも立派な追善供養ですよ。

ABOUT ME
おてさら君
お寺生まれの長男坊。『仏教は哲学』をモットーに仏教の面白さを世の中に伝えるべく日々自己鍛錬中。ミャンマーやスリランカといったアジア国で上座部仏教の修行経験、日本では納棺師の経験を経ています。自分の煩悩の強さを感じながら『職業は僧侶』ではなく、『生き方が僧侶』を目指し、宗派に属さずお寺と俗世間の間で偏りのない仏教に関する情報を提供中。
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