日本には様々な仏教宗派があり、全体で約77000ものお寺があるとされています。どのお寺も宗派により、教義や歴史が様々ですが『お寺』という点ではみな同じです。
そこで今回はどの宗派にも共通するお寺の役割を歴史と合わせて5つに分けて紹介します。お寺の歴史を踏まえながら紹介しますので、時代によってどのようにお寺の役割が変化していったのかも知ることができますよ。
・お寺の役割
・日本におけるお寺のはじまり
・時代によるお寺の役割変化
目次
お寺のはじまり
日本におけるお寺は仏教が伝わった飛鳥時代(あすかじだい)にはじまりました。神社に御神体を祀るように、仏像を安置する場所として建てられたのがお寺とされています。
仏教が日本に伝わる飛鳥時代までは、神社を基盤におく神道(しんとう)が全国的に信仰されていましたが、飛鳥時代には仏教の教えを広め、より良い国造りをしようと政治が動いたため、お寺が全国的に建設され仏像が安置されていきました。
お寺ってどんな所?時代によって生まれた6つの役割
- 仏像の安置場所であった飛鳥時代
- お坊さんが住むようになった奈良時代
- お坊さんの修行の場として広まった平安時代
- 仏教を民衆に伝えはじめた平安時代末
- お葬式やお墓参りと繋がった江戸時代
- 寺子屋が生まれた江戸時代
①仏像の安置場所であった飛鳥時代
お寺は仏像の安置場所として、飛鳥時代より全国的に建設されました。仏像をお寺に安置した目的は、仏教を全国的に広めること、仏様による国の守護を狙って国が政策したものです。
②お坊さんが住むようになった奈良時代
お寺といえばお坊さん。奈良時代時代になるとお寺にはお坊さんが国の安全や繁栄を願ってお経を唱えるべく、お寺に住むようになりました。お寺=お坊さんというイメージはこの奈良時代がはじまりとも言えるでしょう。
③お坊さんの修行の場として広まった平安時代
平安時代になると、お寺はお坊さんの修行の場所としての役割を果たすようになります。特に人里離れた山寺は絶好の修行場所とされ、多くの修行僧がお寺に籠り(こもり)、仏教を学びながら自己を鍛錬していきました。
④仏教を民衆に伝えはじめた平安時代末
日本における仏教は平安時代まで貴族の儀式などに扱われており、民衆に仏教が知られるようになったのは平安時代末〜鎌倉時代にかけてのことでした。お寺はお坊さんを通して仏教を伝える大切な場所として役割を果たし、現在では仏教を伝える場所としてだけではなく、人々の悩みを聞く相談所としての役割も持つようになります。
⑤お葬式やお墓参りと繋がった江戸時代
現在では『葬式仏教』という言葉があるほど、お寺=お葬式のイメージが強いですが、実はお寺とお葬式、お墓参りが結びついたのは江戸時代からだと言われています。
そもそもは江戸時代にキリスト教を信仰することが禁止され、各お寺の檀家になることが国の方針によって定められたことがきっかけにあり、それに基づいて周辺地域に在住する人々の出生や死亡を記録、管理をすることがお寺の役割になったためです。お葬式をお寺で行い、お寺にお墓があることで、亡くなった方、親族はキリスト教徒ではなく仏教徒であることを証明することにもなったのでしょう。お墓がお寺にあることで必然的にお墓参りもお寺で行うようになりました。
⑥寺子屋が生まれた江戸時代
江戸時代には、お寺は仏教を教える場所としてだけでなく、寺子屋という読み書きや、計算などを教える『学び舎』としての役割が生まれました。現在は学校というしっかりとした教育機関があるため、学問を教える場所としてお寺が使われることは少なくなりましたが、お寺のイベントの一つとして期間限定で寺子屋を開催するお寺もちらほら見かけることができます。
まとめ
お寺には様々な役割が生まれてきました。これらの役割は時代時代のニーズに合わせて生まれたものでもあり、現在のお寺の基盤となっているものです。時代が変われば人も変わるので、お寺も変化することに価値があります。仏教という教えを軸に置きながら、これからもお寺のあり方は変わっていくことでしょう。