葬儀について

お金は棺に入れてはいけないもの!【故人には納棺式で代用品を渡す】

納棺式では、副葬品として棺に入れられるものと入れられないものがあります。

お金においては

お守りとして棺に入れてあげたい。

という人が多いですが、現在はお金を棺に入れることはできません。

中には「お金は三途の川を通るときに渡すから持たせた方がよい」と聞いたことがある人もいると思いますが、お金を入れてよいのは昔の話で、今の時代は納棺式の途中で代用品が収められることになっています。

今回の記事では、元納棺師の私が棺にお金をいれてはいけない理由や、お金の代わりとして納棺式で収められるものなどについて紹介。

本記事を読むことで、実際にお金を入れたいと思っている人も安心できますので、是非最後まで読んでください。

この記事でわかること

・棺にお金を入れてはいけない理由
・昔は実際にお金を収めていた
・お金の代わりに使われる代用品とは

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【まとめ】納棺式で棺に入れるものと入れてはいけないものとは

お金は棺に入れられない

・お金が好きだったから棺に入れてあげたい
・お金をお守りとして渡してあげたい
・あの世に行くのにお金が必要だと聞いたことがある

といった理由から、納棺式で棺にお金を納めたいと考える人は多いですが、お金は棺に入れられないことになっています。

その理由は、棺に入れたお金は故人と一緒に火葬されるためであり、お金を燃やすことは貨幣損傷等取締法(かへいそんしょうとうとりしまりほう)に違反する行為だからです。

お金を燃やすと貨幣損傷等取締法に違反する

貨幣損傷等取締法は、1947年の12月4日に公布されたもので、1円〜500円までの硬貨(記念硬貨を含む)をひどく傷つけたり燃やしたりすることを禁止するものです。

項目には

  • 第1項 貨幣は、これを損傷し又は鋳つぶしてはならない。
  • 第2項 貨幣は、これを損傷し又は鋳つぶす目的で集めてはならない。
  • 第3項 第1項又は前項の規定に違反した者は、これを1年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。

といったものがあり、違反することはれっきとした犯罪とみなされます。

正直、1,000円〜10,000円までの紙幣はこの法律に該当はしませんが、紙幣も硬貨も「みんなで使うものですから、大切に使ってください」という要望が出されているので、お金は粗末に扱ってはいけません。

たとえ亡くなった人のためとはいえ、

納棺式で棺にお金を入れること=お金を燃やすこと

になりますので、法律違反を犯さないためにも、棺にお金を入れることは避ける必要があります。

昔はあの世の通行料として故人にお金を持たせていた

昔は故人のためにお金が棺に入れられていました。

特に代表的なのは、江戸時代から明治初期まで流通していた六文銭(ろくもんせん)で、六文銭は通称「三途の川の渡し賃」として古くから棺に納められます。

使用されていた理由は、あの世とこの世を隔てる三途の川を渡るために、通行料として六文を払わなければいけない。という言い伝えがあったためで、現在も言い伝えの名残で「棺にお金を入れなければいけない。」と考えている人は多いです。

納棺式ではお金の代わりに印刷した「六文銭」を納める

納棺式では、棺にお金を入れることはできませんが、式典の最中にはお金の代用品として、印刷物の六文銭を納める時間があります。

この印刷物は納棺師が用意し、旅支度をする際に案内してくれるので、遺族は自分たちで調達することや「これは入れてよいのかな?」と迷う心配はありません。

実際の六文銭は現在流通していませんが、流通していても棺の中に入れれば違法となってしまいます。

印刷物とはいえ、昔の言い伝えを再現しているので、故人も必ず三途の川を渡ることができるでしょう。

印刷物の六文銭は、納棺式の際に頭陀袋(ずだぶくろ)と一緒に案内されます。
この六文銭はお金の変わりとなりますので、実際の硬貨や紙幣を入れる必要ありません。

まとめ

「お金をお守りとして棺に入れてあげたい。」「お金を棺に入れなければ、あの世にいけない」と考える人は多いですが、現在の納棺式ではお金を棺に入れることはできません。

今の時代では、お金の代わりに印刷物で作成された、六文銭を棺に納めることが習慣となっていますので、納棺式用にお金を準備する必要はなし。

印刷物ではありますが、六文銭は三途の川を渡るための通行料と言われているので、通常のお金を入れるよりも大きな価値があるとも考えられます。

 

ABOUT ME
おてさら君
お寺生まれの長男坊。『仏教は哲学』をモットーに仏教の面白さを世の中に伝えるべく日々自己鍛錬中。ミャンマーやスリランカといったアジア国で上座部仏教の修行経験、日本では納棺師の経験を経ています。自分の煩悩の強さを感じながら『職業は僧侶』ではなく、『生き方が僧侶』を目指し、宗派に属さずお寺と俗世間の間で偏りのない仏教に関する情報を提供中。
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