仏教徒の戒律の一つに『不妄語戒(ふもうごかい)』という言葉があります。この不妄語戒は『嘘をつかない』を指すものであり、嘘をつくことに警鐘を鳴らすものです。
今回はこの『不妄語戒(ふもうごかい』を通して、嘘をつくとどんなことを引き起こすのかを具体的に紹介していきます。
・嘘をつくことで起こる自分と他人の変化
・嘘をつくことの怖さ
・つい良い『嘘』は方便
目次
【不妄語戒に学ぶ】嘘をつくことで起こる3の結果
- 嘘をつくと『信頼されなくなる』
- 嘘をつくと『他人を疑うようになる』
- 嘘をつくと最終的に『生き場を失う』
①嘘をつくと信頼されなくなる
嘘をつく場面には必ず他人が存在します。他人に嘘をついた場合、その嘘がどれほど広がるかわかりません。そして広がりに広がった結果、最終的には必ず真実に到達するでしょう。嘘をつくことは簡単であり、言ったその場を凌ぐことができますが、嘘がばれた時には他人の信頼を失います。
一つの嘘を正当化するために更に嘘をつくのはよくある話ですが、その行為は他人の信頼を失うだけでなく、「自分の嘘はバレないだろうか。」と自分自身の心を苦しめる行為です。嘘の数だけバレる数も多いですから、嘘をつくのは後々の事も考えてやめるべきです。
特に自分と友好な関係にある人との間に生まれた嘘は、バレた時の衝撃が大きく、最高の関係から最悪な関係にしてしまいます。小さな嘘でも大きな火種となりますから嘘はやめましょう。
②嘘をつくと『他人を疑うようになる』
嘘をつくことは他人の信頼を失うことだけでなく、自分自身の心にも大きく影響します。それは『他人を疑うようになる』ということ。
自分が嘘をついていると、「この人実は嘘だって知ってる?」「この人誰かに私の嘘をいうかも。」など、その人が嘘を知っているのか、本当の事を知っているのかに関わらず疑う心を持ち、嘘がバレないかと警戒心を強め他人を疑うようになります。この警戒心は大きな不安であり、かなりのストレスを日々自分に与えるので、一度この警戒心が生まれたらなかなか取り払うことはできません。最終的には「この人も嘘をついているんじゃないか?」と根拠のない疑心から他人と距離を置くようになってしまうでしょう。
『嘘は泥棒の始まり』
昔からあることわざに『嘘は泥棒の始まり』という言葉がありますが、「バレてないか?大丈夫か?」という心情は泥棒も嘘つきもかなり近いものがあるでしょう。嘘をつくことは犯罪に近い心理状態でありとても危険です。自分が不安、ストレスを抱えないためにもついてはいけない行為ですから言動、心構えに注意しましょう。
③嘘をつくと最終的に『生き場を失う』
嘘を続けた結果、嘘をついた人は嘘がバレて多くの人の信頼を失い、他人を疑うようになって最終的には生き場を失います。「新しい場所でやり直せば良いじゃないか。」と思うかも知れませんが、積み重ねてきた嘘はあなたの心にしっかりとへばり付いて離れてくれません。『嘘をつくことがクセ』になってしまっているからです。新しい居場所を見つけてもすぐに嘘を連発し、多くの嘘がバレてまた生き場を失うでしょう。
嘘をつくということは身体的、心理的にも自分の居場所を狭くしていくことと思ってください。
ついてよい嘘は『方便』
嘘はいけないことですが、時に嘘は人を救う場合も。この場合の嘘は『方便(ほうべん)』といい、人を正しく導く意味をもっています。嘘と方便の判断はあなたがどのような気持ちをもって他人に言ったのかが判断基準。その人のことを思って言ったのなら方便ですが、少しでも悪意をもって言ったのであればそれは嘘になります。たとえ善意を持った方便であったとしても、悪い結果を起こすこともあります。方便を使う時はよく考えてから使いましょう。
まとめ
嘘をつくことはとても簡単ですが自分の心を苦しいものにし、バレた場合には大きな代償も待っています。最悪あなたの人生を壊す危険性もありますから、小さな嘘でもしてはならないことを心に留めておきましょう。嘘をつきそうになるたびに『不妄語戒(ふもうごかい)』を思い出し、自分を律すると良いですよ。